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このページ作成 2020.9.9 更新2020.9.21
香園寺の開基は、聖徳太子である。
寺伝によれば、用明天皇の病気治癒平穏を祈願して、
皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。
そんな折、夢の中に、
七彩の雲と天より降りた金の衣を着た白髪の老翁が現れ、
本尊の大日如来像を安置したとも伝えられている。
これにより、天皇のご病気は治癒し、
天皇から、このお寺の院号として、「教王院」を賜った。
後に、天平年間(729~749)には、行基菩薩が、
ここを訪れ、お堂を建てて多くの信徒を悩み・苦しみから救った。
また、大同年間(806~810)には、弘法大師が、
この寺に訪れている。
その際のある日、門前で身重の夫人が難産に苦しんでいました。
それを見た弘法大師は、栴檀の香を焚いて加持祈祷を行った。
その甲斐あって、元気な産声をあげて男の子が誕生した。
これが縁起となり、大師は、唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を
本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて、
安産・子育て・身代わり・女人成仏を祈る四誓願の護摩修法をされて、
寺に遺し、この寺を霊場に定められた。
香園寺が「子安の弘法大師」といわれる由縁はここにある。
また、大師は塔中六坊を創建し、自らもその一坊に入った。
また、本尊の脇仏不動明王を彫刻してのこした。
これ以来、七堂伽藍を整えた寺として栄えたが、
後の、天正の兵火で焼失した。
明治時代後期から大正時代にかけて山岡瑞園大和尚が再興し
令和時代の今に至っている。
その他のお堂等への拝観のページは、現在作成中です。
撮影: 2015.7.22 日
大聖堂 建物表側大変大きくて、現代的な建物です。 |
大聖堂 中央より左側大聖堂中央より左側の様子です。 |
大聖堂 中央より右側境内内部から見た仁王門の内側状況です。 |
大聖堂一階内陣
大聖堂一階内陣です。 |
大聖堂一階内陣 大日如来像
大日如来像です。 |
大聖堂一階内陣 大日如来・お顔大聖堂一階の大日如来のお顔です。穏やかなほんのりとした様子です。 ![]() |
大聖堂 左端付近
大聖堂の左端付近の様子です。 |
大聖堂右端付近大聖堂の右橋付近の様子です。右側には木の茂みがありますが、 その少し右向こうに聖徳大使堂があります。 ![]() |
大聖堂内 掲示紙本堂と大師堂は2階に設置してあるという掲示です。 この掲示を読み損なって、 2階に行かずじまいになりました。 1階で参拝したのだから、まあいいか。 ![]() |
大聖堂内陣 神屏風左側大聖堂一階中央の遥拝所から拝める内陣に、6神の神々を描いた屏風が立つられています。 そのうちの左側3神の屏風です。 これら神々の名前はよく分かりません。 ![]() |
大聖堂内陣 神屏風右側大聖堂一階中央遥拝所から拝める内陣に、据えられた屏風の右側半分です。 ![]() |