大通智勝(だいつうちしょう)記念塔![]() かなり高い塔です。 多分、大通智勝如来が大山積神社から ここに引っ越してきたことによる記念の塔 だろうと思います。 大通智勝如来は釈迦の父であり 師匠でもあった人で、 その大通智勝如来はこのお寺の本尊 となっています。 |
筆塚![]() 写真内の左側茶黒い丸まったもの 2, 3 個が筆塚です。 写真内右側の奥には本堂が見えます。 古くなった筆をこの筆塚に葬るのでしょう。 現代のボールペンなんかは どうしてるのでしょう。 当時(昭和29年)ここに訪れた書道家・川村氏の 影響で、この塚ができたようです。 |
伊予府中21カ所霊場 南光坊![]() 南光坊は伊予府中二十一ヶ所霊場 ともなっています。 写真はその入り口を示しているのかな。 この今治付近には、 種々の霊場が設立されているようです。 |
南光坊駐車場入り口指標![]() 南光坊の駐車場入り口を示す指標 が掛けられていました。 車で南光坊へ行くのは、 かなり分かりにくくて苦労しました。 大山祇神社と南光坊の境目に 車2台やっとすれ違える道があります。 ここにどちらの向きから入っても、 写真に写っている表示パネルが見付かります。 大きな広い道路から入れば、 このパネルは左側に、 裏側の細い道路から入れば右側に 見えます。 そのパネルの赤い ⇒ 印の方に曲がると、 もうすぐそこが駐車場です。 南光坊よりも大山祇神社を見付ける方が 容易でしょう。 |
芭蕉の句碑![]() 松尾芭蕉の句碑です。 「 も の い へ は 唇 寒 し 火禾 能 風 」。 「火禾」は「禾火」 即ち「秋」の本字。 我がパソコンでは「火禾」の字は1字で 出てこないので、2字で合成しました。 この碑には、「秋」は本字の「火禾」で 書いているみたいです。 本字は現代の字と比べて、 火 と 禾 が左右逆になっているのです。 漢字・かな共に、現代の字に直して書くと、 「ものいえば唇寒し秋の風」 「ものいえばくちびるさむしあきのかぜ」 となるようです。 この句碑を建造した作者と時期は不明 とのことです。 |
今治市戦災の碑![]() 第二次世界大戦で今治市は多大の被災に あったようです(昭和20年・1945年8月)。 この南光坊も大きな被害を被ったようで、 大師堂と金比羅堂だけが被害から免れ 他のほとんどすべてが消失したとのことです。 今治市民にも多くの被災者が出たようです。 当時、僕は5歳で、今治市と同じ愛媛県東予地区 に住んでいましたが、今治の空襲の悲惨さを、 時々耳にしていました。 今治市民の犠牲になった方々の霊を慰めると同時に どんな戦争も、もう2度と起こらないようにと願って 建てられたのが、この今治市戦災の碑なのでしょう。 |
駐車場![]() 車のまま境内に入ってすぐのところが 駐車場になっています。 約30台が駐車できます。 写真のように、 特に車を止める場所の線引きはなく、 自由に止められました。 白い線引きが引かれてないのは、 厳かな景観を汚さないためでしょう。 写真中央の銀色の車が我が車です。 |
国道からの入り口![]() 今治市役所辺りから今治市営球場の方に向かって 国道317号を行くと左手に 南光坊の入り口道路があります。 その入り口道路が写真の手前左側に見えます。 向こう側の大山祇神社と手前の南光坊に挟まれた 道路です。 その道路は狭く、普通車2台がすれ違えるかどうか ほどです。 その道路を入り進むと、50m ほどで 左側の南光坊駐車場に到着です。 逆の向きから侵入する方が 道路はやや広いですが、 侵入口を見付けるのがやや困難です。 または、 神社と南光坊に挟まれた上記道路の手前 約100m の信号を左折れして50m余りで 右折れすると、すぐ南光坊境内に入ります。 50m 程進むと駐車場です。 |
お墓![]() 境内にこんなお墓がありました。 誰の何のお墓かは分かりません。 このお寺に深く関係する方のお墓なのでしょう。 |
百度石![]() ![]() 病気を治して頂くために 祈願する百度石です。 ある場所からこの石まで 100回まわりながら祈願する 目印の石です。 もう一つ、「百度参」(「参」は旧字で) と書いてある石碑がありました。 これも、お百度参りのときの目印なのでしょうか。 |