四国八十八か所 霊場  第55番札所 南光坊
         大通智勝記念塔・筆塚・芭蕉句碑・駐車場 等

撮影:2016.5.12


大通智勝(だいつうちしょう)記念塔


記念塔
かなり高い塔です。
多分、大通智勝如来が大山積神社から
ここに引っ越してきたことによる記念の塔
だろうと思います。

大通智勝如来は釈迦の父であり
師匠でもあった人で、
その大通智勝如来はこのお寺の本尊 となっています。


筆塚


筆塚
写真内の左側茶黒い丸まったもの
2, 3 個が筆塚です。
写真内右側の奥には本堂が見えます。

古くなった筆をこの筆塚に葬るのでしょう。
現代のボールペンなんかは
どうしてるのでしょう。
当時(昭和29年)ここに訪れた書道家・川村氏の 影響で、この塚ができたようです。


伊予府中21カ所霊場 南光坊


伊予府中21カ所霊場南光坊
南光坊は伊予府中二十一ヶ所霊場
ともなっています。
写真はその入り口を示しているのかな。

この今治付近には、
種々の霊場が設立されているようです。


南光坊駐車場入り口指標


駐車場入り口
南光坊の駐車場入り口を示す指標
が掛けられていました。
車で南光坊へ行くのは、
かなり分かりにくくて苦労しました。

大山祇神社と南光坊の境目に
車2台やっとすれ違える道があります。
ここにどちらの向きから入っても、
写真に写っている表示パネルが見付かります。

大きな広い道路から入れば、
このパネルは左側に、
裏側の細い道路から入れば右側に
見えます。
そのパネルの赤い印の方に曲がると、
もうすぐそこが駐車場です。

南光坊よりも大山祇神社を見付ける方が
容易でしょう。


芭蕉の句碑


句碑
松尾芭蕉の句碑です。
「 も の い へ は 唇 寒 し 火禾 能 風 」。
「火禾」は「禾火」 即ち「秋」の本字。
我がパソコンでは「火禾」の字は1字で
出てこないので、2字で合成しました。

この碑には、「秋」は本字の「火禾」で
書いているみたいです。
本字は現代の字と比べて、
火 と 禾 が左右逆になっているのです。

漢字・かな共に、現代の字に直して書くと、
「ものいえば唇寒し秋の風」
「ものいえばくちびるさむしあきのかぜ」 となるようです。

この句碑を建造した作者と時期は不明
とのことです。

今治市戦災の碑


今治市戦災の碑
第二次世界大戦で今治市は多大の被災に
あったようです(昭和20年・1945年8月)。
この南光坊も大きな被害を被ったようで、
大師堂と金比羅堂だけが被害から免れ
他のほとんどすべてが消失したとのことです。

今治市民にも多くの被災者が出たようです。
当時、僕は5歳で、今治市と同じ愛媛県東予地区
に住んでいましたが、今治の空襲の悲惨さを、
時々耳にしていました。
今治市民の犠牲になった方々の霊を慰めると同時に
どんな戦争も、もう2度と起こらないようにと願って
建てられたのが、この今治市戦災の碑なのでしょう。


駐車場


駐車場
車のまま境内に入ってすぐのところが
駐車場になっています。
約30台が駐車できます。

写真のように、
特に車を止める場所の線引きはなく、
自由に止められました。
白い線引きが引かれてないのは、
厳かな景観を汚さないためでしょう。
写真中央の銀色の車が我が車です。


国道からの入り口


境内の眺め
今治市役所辺りから今治市営球場の方に向かって
国道317号を行くと左手に
南光坊の入り口道路があります。
その入り口道路が写真の手前左側に見えます。
向こう側の大山祇神社と手前の南光坊に挟まれた
道路です。

その道路は狭く、普通車2台がすれ違えるかどうか
ほどです。
その道路を入り進むと、50m ほどで
左側の南光坊駐車場に到着です。

逆の向きから侵入する方が
道路はやや広いですが、
侵入口を見付けるのがやや困難です。

または、
神社と南光坊に挟まれた上記道路の手前
約100m の信号を左折れして50m余りで
右折れすると、すぐ南光坊境内に入ります。
50m 程進むと駐車場です。

お墓


お墓
境内にこんなお墓がありました。
誰の何のお墓かは分かりません。
このお寺に深く関係する方のお墓なのでしょう。

百度石


百度石 百度参
病気を治して頂くために
祈願する百度石です。
ある場所からこの石まで
100回まわりながら祈願する
目印の石です。

もう一つ、「百度参」(「参」は旧字で) と書いてある石碑がありました。
これも、お百度参りのときの目印なのでしょうか。




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