第51番札所 石手寺
    元気再生石の堂・鬼子母神堂

撮影:2015.7.21


衛門三郎再生石の堂(元気再生石の堂)


元気再生石の堂
衛門三郎という人物に由来する堂です。
その伝説を下に記してみます。

伊予国浮穴郡荏原(現在の松山市恵原町あたり)の郷に衛門三郎という良く深い豪農がいました。
毎日のように訪れるみすぼらしい宅鉢僧に怒り、
8日目の日に、托鉢僧が持っていた托鉢を取り上げ地面に叩きつけました。
その時、鉢がばらばらと8個に割れてしまった。
僧も何処かへいなくなった。

その後、衛門三郎の8人の子供が次々と死んでいった。
そのことを、悪行の原因だと思った衛門三郎は、
その宅鉢僧が四国霊場を巡礼していると知り、
また、後の弘法大師空海だということも知り、
その僧に謝ろうと、その僧を追って四国霊場を捜しに巡礼した。
しかし中々会えず、21回目に、思い立った僧は逆回り(後の逆打ちになる)を
して、逆回り3回目に、阿波の焼山寺近くにたどり着いた頃、
過労からか息を引き取ろうとしていた。

丁度その時、空海がその衛門三郎に出会い、
衛門三郎と書いた石を衛門三郎の右手に握らせた。
衛門三郎はそのまま息を引き取った。
その(何年か)後に、この伊予国の地方の領主・河野家に第1子の男児が
誕生した。
しかし、生後、幾日経っても、この子の右手の掌が握ったまま
開かない。

そこで、近くの安養寺で祈願をしたところ、見事に手のひらが開いた。
すると、その手から衛門三郎と書いた石が転がり出てきた。
お礼に、その石を安養寺に奉納した。

そのことがあり、安養寺の寺号を石手寺と改めた。
それが今の石手寺だそうだ。
また、この衛門三郎の(空海に会うための)巡礼が、
その後の四国八十八か所霊場の巡礼の元になったと伝えられています。

このお話は、今は廃止となっている高知市~松山市間長距離バスが、
松山市を一望する三坂峠辺りを通過するときに、車内案内で放送される
のが常でした。


元気再生石の堂内


元気再生の堂内
内部には、衛門三郎にちなんだ様々なご利益の札が立てられています。
衛門三郎が再生したことによる、各種再生のご利益の堂です。

元気再生石の堂内2


元気再生石の堂2
大切な石が数多く置かれています。
立札には「七転八起元気石」「徐罪苦与楽輪(楽輪=くぐり)」
「元気再生石」と書かれた札が立てられています。
大きな黒光りのパワー玉も置かれています。
大きなくぐりも一部見えています。
このくぐりを潜ると元気再生等のご利益があるのだそうです。

衛門三郎像(?)


衛門三郎像(?)
上でも記した衛門三郎の像だと思います。
両肩の上から囚われの網が被せられているようです。
改心した衛門三郎は、すぐには許されず、結局、後に生まれ変わって来る
ことになったのでしょう。

鬼子母神堂(梨帝母天堂)


鬼子母神堂
別称「梨帝母天堂」:「かりていもてんどう」と読むようです。
安産や子供を守ってくれる神様で、女神です。
妊婦の方は安産・良い子の出産を祈って
ここの石を1個持ち帰り、
無事に出産したときに、持ち帰った石と新しい石 1 個
計 2 個をお礼に持参してお参りするのだそうです。


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